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クルーズ番外編 その3 [クルーズ]

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上の写真は、プライド・オブ・アメリカの図書室に飾られていた当時の船の模型 女房殿が50年前に乗った、クリーブランドの話、前回の続きです。

アメリカン・プレジデント・ラインズ社の船はプレジデント・ウィルソンが有名で、姉妹船のプレジデント・クリーブランド、とともに日本-アメリカ間を結ぶ太平洋航路の客船として運行されていました。

クリーブランドは1万5千トン ちなみに、氷川丸は1万1千トンです。

現代のクルーズ船は、飛鳥Ⅱが5万トン、今年2月に乗ったクァンタム・オブ・ザ・シーズが16万8千トンですから、いかに小さな船で太平洋を渡ったか。

ただ、フェリーのサンフラワーが1万3千トンですから現代のフェリーといった感じだと思います。

写真は横浜に係留されている氷川丸

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このクリーブランドと言う船は、調べてみると、第二次大戦時輸送船として建造されたようです。完成した頃には戦争は終結しており、結局太平洋航路の客船として就航することとなったものです。

写真は氷川丸の内部の展示パネル

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現代の船にある揺れ防止装置などは無く、小さな船で太平洋を渡った訳です。

女房殿が乗った時は、台風の影響で時化が続いたそうで、乗って3日間は船酔いで食事ものどを通らず、ひたすた船室で寝ているだけ、船に乗ったことを後悔したそうです。

当時、太平洋を横断するのは、飛行機ではなく、船が一般的な時代です。 乗客の大半はアメリカ人ですが、日本からアメリカに渡る留学生やハワイの日系人なども乗っていたそうで。 その日系人のおばさんから、石ころみたいな船酔いの薬をもらって飲んだら、ぴたり船酔いが治まったそうです。

その後は忘れられない船旅になった訳です。

写真が氷川丸の客室、同じような段ベットに泊まりました。

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女房殿は十代の時、友達と二人でハワイまで船旅をした訳ですが若い二人は目立つ存在で、乗客や船員にペットのようにして可愛がられたようです。

(多分可愛かったんでしょう、残念ながら今ではその面影はありませんが)

氷川丸の1等特別船室にはチャップリンも泊まりました。

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氷川丸の操舵室、私も船長になった気分です。

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当初の計画ではハワイから日本船(女房殿は氷川丸と思っていますが、50年前には運航停止しており別の日本船だと思います)で帰る予定でした。

ところが運が良いことに、行きの船のビンゴゲーム大会で結構な額のお金が当たったのです。あまりの高額だったので船長に返そうと思ったそうです。

純粋だったんです、船長は正当なお金だから返さなくていいよと言ってくれました。 そのお金を基に、日本船をキャンセルし、ハワイでクリーブランドがサンフランシスコから折り返して来るのを待つことにしたのです。

当時、クリーブランドは、サンフランシスコ ~ ホノルル ~ 横浜 ~ 神戸~ マニラ ~ 香港 を周遊していました。

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サンフランシスコ から折り返して来たクリーブランドは、残念ながら全員クルーが入れ替わっていました、船長以下、行きのクルーは誰一人乗っていなかったそうです。

それはそれで、又行き以上に楽しい思い出になったとか。

船で知り合いになった、ハワイの日系人の家に泊まって、観光して歩いた話とか、思い出は尽きないのですが。 次回は私の、ハワイ航路・プライド・オブ・アメリカに乗船した時の話をしましょう。

写真はハワイのタグボート、よく見ると女性が手を振っています。

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氷川丸の写真は主に2017年4月に写したものを使用しました。 氷川丸の入館料は:一般 300円 日本郵船歴史博物館とのセット券 一般 500円          シニア200円                シニア 300円 日本郵船歴史博物館は残念ながら休館しています。 下のブログランキングの写真変えてみました。こちらももよろしくお願いします。


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