日本橋クルーズ [クルーズ]
-今回はぐっと小型-日本橋クルーズーです。
日本橋川・神田川を巡る運河クルーズで所要時間1時間30分のコース。
あいにくの天気でしたが、日本橋を下から眺め、御茶ノ水駅や聖橋を川から眺めるのも中々いいものです。
帰りは三越デパートの斜前に今年出来たコレド室町で食事、ベルギービールを飲んで気分は最高。
日本橋川・神田川を巡る運河クルーズで所要時間1時間30分のコース。
あいにくの天気でしたが、日本橋を下から眺め、御茶ノ水駅や聖橋を川から眺めるのも中々いいものです。
帰りは三越デパートの斜前に今年出来たコレド室町で食事、ベルギービールを飲んで気分は最高。
クルーズにはまりました、ダイヤモンド・プリンセス [クルーズ]
クルーズにはまりました、その4 [クルーズ]
J旅行社の日本人添乗員付ツアーバスと隣同士になることがあって、2~3度声を掛けたのですが、まるで異星人でも見るような目つきでこっちを見るのでがっかりしました、日本人同士で固まっていると他が見えなくなるのかな。
他の単独参加の日本人とは随分親しくなりました、ツアーで一緒に回った訳ではないのですが同じような境遇なので、会うたびに情報交換です、お互いの出来事が面白いのです、迷子になった話とか、どこそこの観光は良かったとか、今度はどこへ行こうかとか話はつきません。
私達夫婦の泊まった客室にはバスタブが付いていませんシャワーだけです、この船でバスタブが付いているのはスイートルームだけで、ペントハウスにも付いていません。
でもいいのがあったんです、プールの脇にあるジャグジーです、手を入れてみると暖かいのです、プールは海水を濾過しているだけですから冷たいのですが。
急いで部屋に戻り海水パンツに着替えてプールまで戻ったのです、するとアメリカのご婦人方が陣取っているではありませんか。
日本男児気後れするなと思いましたが、いかんせんアメリカのご婦人方のウエストは日本人のそれと2~3倍はあろうかと言う貫禄です、日本男児沈没しそうなので残念ながら諦めました。
海水プールに入り、あとはやっぱりシャワーだけ、ゆっくり温泉気分をあじわうのは日本に帰ってからと諦めました。
プライド・オブ・アメリカのクルージングはこれでおしまいです。
航空自衛隊入間基地の航空祭 [写真]
クルーズにはまりました、その3 [クルーズ]
プライド・オブ・アメリカ はノルウエージャンクルーズライン社の船で、8万トンの船です.
フオーマル船で堅苦しいドレスコードはありません(一応簡単なドレスコードはあります)、普段はポロシャツやショートパンツでOKです、フオーマルの日もありますが、それは自由です。
ハワイの服装の日なんてあって、が男性はアロハシャツ、女性は花柄の服装、又は花飾りやレイなどで着飾ります、それも自由です。
エスカージョン(上陸ツアーと云うそうです)の申込書は日本語用があるのですが、日本語で通用するのはそれだけ、あとは全部英語です、いろんなツアーがあるので、自分がどのバスに乗るのか最初から一苦労です。
つくづくもっと英語を勉強しておけば良かったと反省しましたが時遅し、私のブロークン英語と身振り手振りで出発です。
ツアーバスは、運転手が運転しながらガイドをするのです、日本の観光バスでは見たことがありません、きっと日本では規制がうるさいからでしょうね。
全部英語ですから、ほとんど意味は分かりません、テンオークロックとかファイブオークロックとかやたらと時間のことを云うのでなんだろうと思いました。
最後の頃になってやっと分かったんです、ライトサイドの10時方向を見ろとか、レフトサイドの5時方向を見ろって言ってたんです、きっとその方向に観光名所があったんでしょう、気付くのが遅かった。
バスの中はとても和気あいあいとした雰囲気です、ガイドが近くの人と仲良くなれとか、自己紹介しろとか言っているようなんです。
隣の老夫婦はカナダのトロントから来たって言ってました、その他にオーストラリア人、アツアツのイタリア人新婚カップル、元気のいい台湾人のオバさんグループなど、日本人は私達夫婦だけです。
やっぱり圧倒的にアメリカ人が多くアメリカの各地から来ています。
そうそうボストンから来た人がいて、レッドソックスがワールドシリーズを争って居た時、その話題で歓声があがりました、もちろん私は上原だって言いましたけどね。
それからガイドが順番で記念撮影してくれ、カップルはキスしろって言うのです。
まいったな、日本人は夫婦といえども人前でキスする習慣はないんだぞと言いたかったのですが、私の拙い英語では通じる訳もなく、躊躇していたら周りからすごいブーイングです。
アメリカ人には信じられないでしょうが、生まれて初めて人前でキスしました。
言葉は通じなくても本当に楽しいツアーです、こんな体験は日本人ツアーでは経験出来ないでしようね。
まだ続きます。
フオーマル船で堅苦しいドレスコードはありません(一応簡単なドレスコードはあります)、普段はポロシャツやショートパンツでOKです、フオーマルの日もありますが、それは自由です。
ハワイの服装の日なんてあって、が男性はアロハシャツ、女性は花柄の服装、又は花飾りやレイなどで着飾ります、それも自由です。
エスカージョン(上陸ツアーと云うそうです)の申込書は日本語用があるのですが、日本語で通用するのはそれだけ、あとは全部英語です、いろんなツアーがあるので、自分がどのバスに乗るのか最初から一苦労です。
つくづくもっと英語を勉強しておけば良かったと反省しましたが時遅し、私のブロークン英語と身振り手振りで出発です。
ツアーバスは、運転手が運転しながらガイドをするのです、日本の観光バスでは見たことがありません、きっと日本では規制がうるさいからでしょうね。
全部英語ですから、ほとんど意味は分かりません、テンオークロックとかファイブオークロックとかやたらと時間のことを云うのでなんだろうと思いました。
最後の頃になってやっと分かったんです、ライトサイドの10時方向を見ろとか、レフトサイドの5時方向を見ろって言ってたんです、きっとその方向に観光名所があったんでしょう、気付くのが遅かった。
バスの中はとても和気あいあいとした雰囲気です、ガイドが近くの人と仲良くなれとか、自己紹介しろとか言っているようなんです。
隣の老夫婦はカナダのトロントから来たって言ってました、その他にオーストラリア人、アツアツのイタリア人新婚カップル、元気のいい台湾人のオバさんグループなど、日本人は私達夫婦だけです。
やっぱり圧倒的にアメリカ人が多くアメリカの各地から来ています。
そうそうボストンから来た人がいて、レッドソックスがワールドシリーズを争って居た時、その話題で歓声があがりました、もちろん私は上原だって言いましたけどね。
それからガイドが順番で記念撮影してくれ、カップルはキスしろって言うのです。
まいったな、日本人は夫婦といえども人前でキスする習慣はないんだぞと言いたかったのですが、私の拙い英語では通じる訳もなく、躊躇していたら周りからすごいブーイングです。
アメリカ人には信じられないでしょうが、生まれて初めて人前でキスしました。
言葉は通じなくても本当に楽しいツアーです、こんな体験は日本人ツアーでは経験出来ないでしようね。
まだ続きます。
クルーズにはまりました、その2 [クルーズ]
なぜプライド・オブ・アメリカのハワイ4島クルーズに参加することになったのか、その経緯からお話しします。
43年前、女房が私と知り合う前の18才の時のことです、アメリカンプレジデントラインズ社のクリーブランドと言うアメリカ船籍の船に乗ったことから始まります。
それは横浜からハワイのホノルルを経由してサンフランシスコまで就航していたもので、当時まだ飛行機で渡米するのが高価な時代で船で渡るのが一般的な時代でした、つまり歌で歌われた憧れのハワイ航路なんです。
女房は18才の時、友達と二人でハワイまで船旅をした訳ですが若い二人は目立つ存在で、乗客や船員にペットのようにして可愛がられたようです。(多分可愛かったんでしょう、残念ながら今ではその面影はありませんが)
その時の想い出が忘れられず、女房は何度か船旅をしています。
私はクルーズなんて考えもしなかったのですが、定年退職の折、女房のたっての願いで初めてのクルーズとあいなった訳です。
さてホノルル空港の到着ロビーは日本人で溢れていましたが、このクルーズにも日本人が沢山参加するだろうと思っていました。
乗船してすぐに、この船のクルーで唯一の日本人である、みどりさんが、日本人の乗客を集めて船内説明会を行なったのです。
そこに集まった日本人は50人程度、船の乗客は2,000人で満室状態、その内のたったの50人です。
しかもその内30人はJ旅行会社の添乗員付きツアー客です。
そもそもK社にツアーを申し込んだのですが、2週間前に連絡があり、人数が集まらなくて添乗員ツアーは開催出来ないと連絡がありました、費用も当初より高くなると言うのです。
今更変更出来ないし、しょうがないかと思い参加したのです。
船には日本人クルーがいるし、日本語ツアーがあるから心配ありませんよと旅行社の人が云うのでそれならいいかと思ったのです。
しかし、甘かった、日本語ツアーは規定人数に達しない為、開催されなかったのです。
我々夫婦のような一般のツアー客20人は英語ツアーに参加してくださいと、それを聞いて、皆動揺しました。
そしてその時は、J旅行社の添乗員付きツアーが羨ましくなりました。
船の乗客 2,000人です日本人は少なく、ましてガイドは英語で日本語のイヤホーンもありません。
アメリカのど真ん中に取り残された気分です。
まだまだ続きます。
43年前、女房が私と知り合う前の18才の時のことです、アメリカンプレジデントラインズ社のクリーブランドと言うアメリカ船籍の船に乗ったことから始まります。
それは横浜からハワイのホノルルを経由してサンフランシスコまで就航していたもので、当時まだ飛行機で渡米するのが高価な時代で船で渡るのが一般的な時代でした、つまり歌で歌われた憧れのハワイ航路なんです。
女房は18才の時、友達と二人でハワイまで船旅をした訳ですが若い二人は目立つ存在で、乗客や船員にペットのようにして可愛がられたようです。(多分可愛かったんでしょう、残念ながら今ではその面影はありませんが)
その時の想い出が忘れられず、女房は何度か船旅をしています。
私はクルーズなんて考えもしなかったのですが、定年退職の折、女房のたっての願いで初めてのクルーズとあいなった訳です。
さてホノルル空港の到着ロビーは日本人で溢れていましたが、このクルーズにも日本人が沢山参加するだろうと思っていました。
乗船してすぐに、この船のクルーで唯一の日本人である、みどりさんが、日本人の乗客を集めて船内説明会を行なったのです。
そこに集まった日本人は50人程度、船の乗客は2,000人で満室状態、その内のたったの50人です。
しかもその内30人はJ旅行会社の添乗員付きツアー客です。
そもそもK社にツアーを申し込んだのですが、2週間前に連絡があり、人数が集まらなくて添乗員ツアーは開催出来ないと連絡がありました、費用も当初より高くなると言うのです。
今更変更出来ないし、しょうがないかと思い参加したのです。
船には日本人クルーがいるし、日本語ツアーがあるから心配ありませんよと旅行社の人が云うのでそれならいいかと思ったのです。
しかし、甘かった、日本語ツアーは規定人数に達しない為、開催されなかったのです。
我々夫婦のような一般のツアー客20人は英語ツアーに参加してくださいと、それを聞いて、皆動揺しました。
そしてその時は、J旅行社の添乗員付きツアーが羨ましくなりました。
船の乗客 2,000人です日本人は少なく、ましてガイドは英語で日本語のイヤホーンもありません。
アメリカのど真ん中に取り残された気分です。
まだまだ続きます。
クルーズにはまりました。 [クルーズ]
1年前ハワイ4島クルーズ、プライド・オブアメリカに乗船したのであります。
今時のハワイなんて、費用も手軽で誰でも簡単に行ける時代ですね。
ホノルル空港は日本人でごった返しておりました。
私達夫婦は、ある大手H旅行業者の子会社でクルーズを専門に扱っている、K会社に今回のクルーズを申し込んだのであります。
そのH旅行社のカウンターで、受付している係りの女性にK会社と告げたんです、そうしたら、それは知らないここではないと云うのです。
一生懸命、工程表を見せ説明したのですが、ほとんど取り合ってもらえません。
まいりました、いきなり途方にくれてしまったのであります。
しょうがないから、工程表に書いてある、現地の連絡先に電話しようと悪戦苦闘、ハワイの電話は日本と違い面倒なんです。クレジットカードとか現金とかで、公衆電話からかけて見ました、英語で何かアナウンスしているのですが上手く行きません。
そうこうしている内に、ふとその旅行会社の看板の下に小さくK会社と書いてあるのを、発見したのです。
これこれと説明しやっと納得してくれました、後で聞いた話では受付している人はほとんどがアルバイトで詳しいことを知らないようです。
最初からアクシデントで、なにか、不吉な予感がしました。
そしてその予感は的中することとなったのであります。
続きは次回
今時のハワイなんて、費用も手軽で誰でも簡単に行ける時代ですね。
ホノルル空港は日本人でごった返しておりました。
私達夫婦は、ある大手H旅行業者の子会社でクルーズを専門に扱っている、K会社に今回のクルーズを申し込んだのであります。
そのH旅行社のカウンターで、受付している係りの女性にK会社と告げたんです、そうしたら、それは知らないここではないと云うのです。
一生懸命、工程表を見せ説明したのですが、ほとんど取り合ってもらえません。
まいりました、いきなり途方にくれてしまったのであります。
しょうがないから、工程表に書いてある、現地の連絡先に電話しようと悪戦苦闘、ハワイの電話は日本と違い面倒なんです。クレジットカードとか現金とかで、公衆電話からかけて見ました、英語で何かアナウンスしているのですが上手く行きません。
そうこうしている内に、ふとその旅行会社の看板の下に小さくK会社と書いてあるのを、発見したのです。
これこれと説明しやっと納得してくれました、後で聞いた話では受付している人はほとんどがアルバイトで詳しいことを知らないようです。
最初からアクシデントで、なにか、不吉な予感がしました。
そしてその予感は的中することとなったのであります。
続きは次回